泉パークタウンはどうやって生まれた?丘の上にできた「まち」のはじまり【前編】

丘の上にできた「ひとつのまち」のはじまり。
泉パークタウンに住んでいると、並木道や公園の多さ、ゆったりした住宅地の雰囲気に「なんとなく気持ちのいいまちだな」と感じることがありませんか。
実はこのまち、ただの住宅地ではなく、50年以上かけてつくられてきた大きなまちづくりのプロジェクトなんです。
知っているようで意外と知らない地域のこと。
今回は、「泉パークタウンってそもそもどんなまちなの?」という原点を、少しさかのぼってみたいと思います。
もともとは山とため池のある丘陵地

今の泉パークタウンがある場所は、1960年代まではほとんどが、山林、雑木林、農地、ため池といった自然の多い地域でした。
現在のような住宅地はほとんどなく、仙台の中心部から少し離れた静かな丘のエリアだったそうです。
その丘陵地に目をつけたのが、総合不動産企業の三菱地所でした。

「5万人が暮らすまち」をつくる壮大な計画

1969年、この場所に大規模ニュータウンをつくる計画がスタートします。
その規模は当時としてはかなり大きく、
- 住宅地
- 学校
- 商業施設
- 公園
- 工業地区
などをまとめて整備する人口5万人規模のまちづくりでした。
民間企業が主体となって開発するニュータウンとしては、日本でも最大級の計画だったと言われています。
1974年、最初の住民が暮らし始めた

出典:泉パークタウンHP
工事が始まってから数年後の1974年。
いよいよ住宅地が完成し、泉パークタウンに最初の住民が暮らし始めました。
ここから少しずつ住宅地が広がり、学校や公園、商業施設なども整備されていきます。
そして2024年、泉パークタウンはまちびらき50周年を迎えました。
1974年のまちびらきを覚えていらっしゃる方。
ぜひ当時の話を聞かせて欲しいです。

なぜこのまちは緑が多いのか

泉パークタウンに住んでいると、「このまち、緑が多いな」と感じる人も多いと思います。
実はこれ、最初の計画から意識されていたことでした。
まちづくりの中で
- 山の地形をなるべく残す
- 既存の森林を活かす
- 公園や緑地を多く配置する
といった設計が取り入れられています。
そのため、並木道、大きな公園、自然の景観が、まちのあちこちに設けられているんですね。
ひとつの「まち」としてつくられたニュータウン

泉パークタウンの特徴は単なる住宅地ではなく、最初から「ひとつのまち」として計画されたことです。
住宅だけではなく
- 学校
- 公園
- 商業施設
- 医療
- 交通
など、暮らしに必要なものをバランスよく整備することを目指してつくられました。
だから今でも「住宅地だけで終わらないまち」になっているのかもしれません。
次回は「まちを育てる仕組み」の話

泉パークタウンには、もうひとつ面白い特徴があります。
それは、
まちをつくって終わりではなく、今もまちを運営する仕組みがあること。
普通の住宅地とは少し違うこのまちならではの仕組みです。
後編では
- なぜまちなみが整っているのか
- なぜイベントや活動が多いのか
- 泉パークタウンが続いてきた理由
などを紹介したいと思います。
同じまちに住んでいても、意外と知らないことが多いもの。
自分たちのまちを知ると、散歩の景色もちょっと違って見えるかもしれませんね。

この記事書いた人
よっしー
人・もの・コトとの出会いが好き。
その場所に流れている空気や、何気ない会話の中にある誰かの「想い」を、そっと見つけて伝えていけたらと思っています。

